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幹細胞の歴史〈後編〉
第5回目:幹細胞の歴史〈後編〉
第3回から幹細胞が再生医療の発展の歴史について振り返ってきましたが、悲しいことに戦争という愚かな行為がそれを支えてきたという事実がありました。さらに、研究・開発されてきた恩恵を受けられるのが社会主義国家であるソ連のおかげでもあることも大きな要因だと言えるでしょう。
ここでは、東西冷戦の最中、ソ連が幹細胞再生医療の発展に大きく寄与したということを改めて認識しておきたいと思います。
■ソ連の知見が現代の医学研究に貢献
ソ連は国家体制の性質上、科学や医学の過程、そして成果を自由に発信できる国ではないことは周知のことです。それらは国民のためのものではなく、国家の資産、国家が国際的に有利になるためのツールとして利用されてきました。したがって、研究内容の詳細やその成果については断片的な情報しかありません。
1988年から1991年にかけてソ連が内部分裂を起こして崩壊した後、知見を持った優れた科学者は周辺国に逃れて研究を続けました。
某国は世界で屈指の医療大国となり、最先端の幹細胞を使った再生医療の発展に注力し、現在では世界をリードする国として認知されています。
その成果の多くは、ソ連が国家の利益のためだけに行った研究から続く知見がベースにあったわけです。
■幹細胞治療の研究を支えたソ連時代
研究者が幹細胞に注目した当初から、他人の細胞の移植を行う幹細胞治療は非常に危険なものと考えられてきました。このことは今でも同じで、例えば白血病の治療で行われる骨髄移植においてドナーとのマッチングが重要であることは現代医学の常識になっています。
ドナーとのマッチングなしで骨髄移植した場合、拒絶反応によって一般的には95%が死亡すると考えられています。そのためアメリカをはじめとする自由主義諸国では、人道的、政治的、思想的背景もあり、ドナーと患者間のマッチングを必要としない間葉系幹細胞(MSC)が発見された後でも、研究者たちは思うように治験が進められなかったと考えられます。
しかしながら、ソ連では独裁的な政権がゆえに軍事産業の一環として治験が強行されたことは容易に想像できます。このような世界的な東西の対立構造の中で、間葉系幹細胞を利用した治療は、ソ連が西側諸国よりおよそ20年も早くその技能の構築に成功したのです。
また、一説によると1991年頃(ソ連崩壊末期)にはあらゆる幹細胞のノウハウを構築していたとも言われており、ソ連時代が今の再生医療の基礎的な研究の本流であったことは間違いないと考えられています。
次回からは、アメリカにおける幹細胞研究とES細胞、iPS細胞、体性幹細胞について要約していきます。