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アメリカにおける幹細胞の歴史
第6回目:アメリカにおける幹細胞の歴史
前回までソ連を中心に幹細胞の歴史を簡単に振り返ってきました。今回はアメリカでの幹細胞研究について顧みます。
幹細胞の研究のスタートは骨髄で血球をつくり出すもととなる造血幹細胞を移植する研究と言われています。そのメインストリームは先にも述べた第二次世界大戦中のマンハッタン計画にあります。そして原子力爆弾の開発・製造に関する研究・開発の中で造血幹細胞の移植に関するヒントが発見されたと言われています。
また、1953年にはロバート・ブリッグスとトーマスJ.キングがカエルの卵で分裂した体細胞である胞胚期の細胞から核を取り出して除核してある未受精卵に注入し、再度未分化細胞に戻すことに成功しています。さらに1975年にはイギリスのジョン・ガードンがオタマジャクシの腸の細胞核を除核した未受精卵に移植して分化した核を未分化、そして受精させ、発生をリスタートさせてクローンガエルをつくることに成功しました(「核移植による細胞の初期化」に成功)。ちなみにガードンはこの功績によって2012年に当時京大の山中教授とともにノーベル医学・生理学賞を受賞しています。
さて、メインストリームの方では、第二次世界大戦後の1960年代、ジェイムズ・ティルとアーネスト・マカロックがマウスに放射線を照射し骨髄細胞を死滅させて、再度、骨髄細胞を注射するという研究を始め、その対処がマウスの治療に有効であることを発見します。
そしてこれらの研究が進展していくなかで、「分化能」と「自己複製能」があることを証明し、「幹細胞」という概念が確立されていきました。
また1957年、エドワード・ドナル・トーマス(1990年ノーベル生理学・医学賞受賞)らによって骨髄移植が行われ、幹細胞を用いた世界で初めての臨床治療となりました。
しかしながら、この骨髄移植は膨大の数のドナーマッチングを必要としたため、臨床研究の歩みは遅いものとなります。
ところが1981年、イギリスのマーチン・エバンス(2007年ノーベル生理学・医学賞受賞)がマウス胚から多能性幹細胞の分離に成功し、最初のES細胞を生み出すと、1998年、ウィスコンシン大学のジェームズ・トムソンとジョンズ・ホプキンス大学のジョン・ギアハートは、不妊治療で余った胚胎と流産した胎児組織を用い、胚性幹細胞を分離させ、細胞の作り出すことに成功します。これは「ヒトES細胞の開発」として世間から大きな注目を集めることになりますが、2001年にアメリカ大統領に就任したブッシュからヒトES細胞研究への公的資金投入を凍結されてしまいます。というのも、これからヒトとして成長する可能性がある受精卵を使った再生医療は、倫理的な問題が大きいということからでした。
次回からは、ES細胞、iPS細胞、体性幹細胞について簡単に説明していきます。