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幹細胞の歴史〈前編〉
第3回目:幹細胞の歴史〈前編〉
洋の東西を問わず、今や世界中の再生医療の希望の星である幹細胞ですが、その研究は主にドイツやソビエト連邦共和国で行われてきました。中でもソ連における幹細胞研究・開発の経緯は今日の幹細胞医療の根幹的な役割を担っていることから、ここではソ連における幹細胞の歴史を追ってみたいと思います。
人間、生物を形成する細胞の研究は、古くから議論・研究されてきました。1665年イギリスのロバート・フックがコルク切片を自作顕微鏡で観察し、細胞を発見します。
その後、1855年にドイツのフィルヒョーが細胞分裂を発見し、「細胞は細胞から生じる」ことを提唱してさらに研究は深まっていきます。
その後、マキシモフという組織学と発生学の科学者が、まだロシア帝国だった時代(1721年~1917年)に「幹細胞(stem cell)」という言葉を生み出します。
マキシモフの考察では、「血液中の血球が次々と作り出されている現象は、細胞分裂だけでは説明がつかない」、「別の細胞が血球に変化しているのではないか」と仮定し、幹細胞を発見するきっかけを作ったのです。
これが1908年のことで、現在の幹細胞に通ずる理論提唱となりました。
そして20世紀半ば、ソ連の科学者であったレペシンスカヤが「心臓の細胞は、最初から心臓の細胞だったのではなく、何かから心臓の細胞が作られる」と発表し、幹細胞の概念にもつながる考え方を示しました。
しかしながら、当時のソ連の科学アカデミー界は、1924年から1953年までソ連・最高責任者だったスターリンの支持を得ていた農学者であるルイセンコを中心に回っていました。彼は、独自の研究考察から、定説だったメンデルの法則やダーウィンの自然選択説を否定しており、「環境よって獲得した形質が遺伝する」と提唱したために、遺伝学の研究はスターリンが死去する1953年まで滞ってしまいますが、1939年から始まった第二次世界大戦が奇しくも幹細胞研究の発展に寄与することになっていきます。
次回は、核兵器開発がもたらした幹細胞研究について要約していきます。